オタクが初めて推しの香水を嗅いだ話

初めて夢女になったキャラがいる。

いや初めてというには語弊がある。小さい頃から寝る前にアニメの中に入る妄想をしていたり、推しの下僕になりてぇとか考えていた時もあった。
しかし所謂ガチ恋の夢女にはなったことがなかったのだ。夢小説というものの存在は知っていたが、ハマるジャンルは毎回マイナーためほぼほぼ読んだこともないぐらいだ。しかしどうだ、いまでは立派な夢女ではないか。
これ以上語ると本題から外れてしまうので割愛するが、夢小説も通ったことがなかったオタクが一瞬で夢女になったわけだ。ちなみにエグめの腐女子も兼任しているので私の中にはモブおじさんと夢女がいると思っていただきたい。

 

とにかく、初めて推しに恋した私は毎日暴れた。しかも私の中にはモブおじさんもいるので彼も暴れ回る。推しにとってはいい迷惑である。

 

そしてつい先日、私はフォロワーに推し香水を選んでもらえるサービスを教えてもらった。詳細は各自調べてもらいたいが、キャラだけではなく音楽や概念の特徴を文章で送ると既存の香水の中から選んで送ってもらえるというものだった。

 

「推しの匂いを嗅ぎたい」

 

推しのためのオンリーワンの香水を作るのではなく、普通に売っているものの中から選んでもらえるため気に入ればフルボトルでもなんでも買えばいいやん!しかも一番小さい奴なら安いし!と軽い気持ちで推しの特徴を文章でしたため始めた。

 

私の推しはとにかく情報が限定されている。漫画の主人公というメインキャラクターにも関わらず巻数が少ないため、誕生日もわからないし好きなものも嫌いなものも分からない。モチーフというモチーフもなく趣味でアクセサリーを作る時も困っている。
なんでそんなキャラ好きになったの?と言われたこともあるがしかたないんだよ可愛いから。惚れちまったもんは仕方ねえ。と開き直るぐらいには情報が少ない。

 

そのため基本的なプロフィールは都内在住の男子高校生であることと、見た目やイメージカラーのことしか書けず、あとはただひたすらに性格や生き方について箇条書きで書き上げた。

 

このなんのこっちゃかわからない怪文書を書き上げたあと、客観的なデータもあればいいかもしれない、と個人的な意見として……と一行ほど付け足して送りつけ注文を完了させる。

 

つい勢いに任せて注文しまったが、ふとここで冷静になる。
推しの匂いってなんだろうと。

 

今までキャラの香水は一度だけ買ったことがある。
乙女ゲームの香水だがそれは厳密にはキャラの香水ではなく、「キャラが女につけてほしい香水をプロデュースした」というコンセプトの香水だ。私はそれを嗅いでも「オモシレー女が好きなんだな。わかるよ」というキャラ解釈を得たぐらいで、推しの匂いというものはてんで知らない。

 

そう、推しの匂いという概念に触れたことがないのだ。

 

推しの匂いを嗅いだことない人間が、推しの匂いを嗅いだらどうなる?
私は知っている。フォロワーの夢女は推しの香水(公式)を吸って死んでいるのをたびたび見ているのだ。
つまり死である。
未知で危険な領域に足を踏み入れてしまったのに気づいた頃には遅く、注文受付完了のメールが死へのカウントダウンの始まりを告げていた。

 

そうして死に震えていた私の目に飛び込んできたのは先んじて推しの香水を頼んでいたフォロワーだ。
彼女も推しの香水という概念は初めてだったらしいので、どうだったのか聞いてみると、「やばい」「ふぁーってなる」「ハンカチにかけて嗅ぐとやばい」という情報を得た。
とにかくやばいのは分かった。その幸せそうな様子を見てもう早く推しの匂いが嗅ぎたくて仕方ない。推しジャンキーである私はすでに限界状態だった。
推し香水が届くまでの私は、ことあるごとに推し香水で検索をかけてオタク達の悲鳴をみて過ごしていた。

 

そして数日後、ついに私の手元にも香水が届いた。
ついに来てしまったのである。『死』が。
私は焦る気持ちを抑えて包装を破り捨てて小さな容器に入っている液体と説明書の紙を取り出した。
ジョーマローン-ポメグラネート ノアール
それが彼の匂いであった。
付属されている試験用の紙に香水を吹き付けて私は飢えた野良犬のように匂いを確かめる。

 

あっ、いるわ。

 

それが第一印象だった。
これが推しの匂いなのか………いい匂いだな。割と好きかもしれない。と説明書を取り出す。

 

紙には香水の写真と名前が書かれており、二次元コードで詳細が読めるようになっていたので読み取ると、「大胆で官能的な赤いシルクのイブニングドレスに着想を得た香り」というパワーワードが目に入る。
官能的とな。
男子高校生が官能的とな。
それとミステリアスとも書かれていた。確かに彼は自分のことを多く語らないためミステリアスだ。誕生日知らないし。

 

とりあえず思ってたよりも甘い匂いで驚いた。
調べるとベースに使われている木の匂いはバニラの風味がするらしく、それが原因だと思われる。

 

いやそれにしても官能的か。……確かに私のこの狂い方は人を惑わす匂いといっても過言ではないな……。と再び匂いを嗅ぐ。

 

死を感じた。
突然死んだのだ。
文章によって深みを得たのか彼の匂いは私に致命的なダメージを与えた。

 

これがフォロワーの死因、そう感じた。
二次元の情報しかない推しが突然匂いを纏って襲ってきたのだ。
オタクが推しの匂いを嗅いで死ぬのは推しの情報量に立体感を与えているからだと、この時確信した。
人間という生き物は思っていたよりも嗅覚に頼っているのかもしれない。
もう隣にいるのではと錯覚するレベルで私の脳は彼の存在を認知していた。

 

「ハンカチに含ませて頭に乗せるとやばいよ」

 

推しの匂いで暴れている私を見たフォロワーが教えてくれたので早速実践した。
寝転がって推しの匂いを染み込ませたハンカチをふわりと乗せる。

 

やばい。
推しに包まれとるやん。

 

突然の幸福感に耐えきれずものの数秒でギブアップした。
私の中でいらんことを企んでいたモブおじさんも白旗をあげてギブアップした。
夢女すごいな、これを吸っているのか……。
私は推しの存在を認識し続けられる夢女のすごさを改めて実感した。

 

とにかく推しの深みが増すので、機会があればみんなもぜひやってほしい。
ただ夢堕ちしたあともモブおじさんは今でも健在なので、そこは安心して欲しい。

それにしても男子高校生に官能的な香水を選んだスタッフさん、ありがとう。

 

以上